【家外学習】平和教育を学校任せにはできない。(KURASOU.家外学習from長崎)

KURASOU.の齋藤です。

はじめて海外で過ごすお正月でしたが、中国は2月8日からの春節(旧正月)がメインなので、いつもとあまり変わらない光景でした。
私たち家族は、元旦から浙江省の州都・杭州へ行ってきました。
風情ある西湖も魅力的でしたが、人と車の多さには圧倒されました。
お天気にも恵まれたので西湖周辺を散歩していたら、男子高校生が長男に、「はい、食べて」とおでんを一串くれました。長男は「謝謝!」と受け取りにっこり。
日本ではあまり見かけないことだと驚きもありましたが、とてもほっこりした一面でした。

 さて間があいてしまいましたが、
前回の KURASOU.家外学習from長崎1回目 「確実に」生きるとは?に 続き、今回は2回目のレポートをします。

(パソコン以外のデバイスからお読みの場合、写真が横に表示されることがあります)


目次:

・浦上天主堂/破壊を経てなお残るもの
・長崎原爆資料館/親になる前にはなかった視点
・まとめ/平和教育を学校任せにはできない
・家外学習のルートについて

青空に映える浦上天主堂

青空に映える浦上天主堂

浦上天主堂/破壊を経てなお残るもの

長崎市の北部に位置する地域にそびえたつ浦上天主堂は、
17世紀から19世紀における潜伏キリシタンの中心地として知られています。
そもそも長崎とキリスト教の関係は、1550年にザビエルが平戸(※1)で布教を行ったことから始まります。
たくさんのポルトガル船が寄港していた長崎では、多くの人々がキリシタンとなっていきました。

1580年、大村純忠(日本ではじめてのキリシタン大名)が長崎などをイエズス会に寄進(※2)したことにより、
長崎は「小ローマ」と呼ばれるまでキリスト教文化が繁栄したそうです。

しかし、豊臣秀吉にはじまったキリシタン弾圧は徳川幕府によってさらに強化され、1614年には、禁教令が全国に発布されました。
禁教令以降はほとんどの教会が破壊され、跡地には役所や寺院などが建てられていったそうです。

今も残る石像

今も残る石像

長崎原爆の日、浦上天主堂には数十人の信者が天主堂内にいたとされ、
爆風で天主堂は倒壊し、2人の神父も信者たちも即死。倒壊した天主堂には火がつき炎上したそうです。

また天主堂の倒壊で壁面に装着されていた天使像や獅子石像、聖人石像のほとんどは大破したそうですが、
奇跡的に残った像たちが今もなお残っていて、爆風の破壊力、そのすさまじさが伝わってきました。

清々しい青空をバックにした浦上天主堂は、とても美しい表情をしていて、
訪れている多くの修学旅行生をやさしく迎えているようでした。

私たちも子どもたちにまじって天主堂の中へ入りましたが、私は長崎人でありながら初めての経験でした。
静かな空気と時間がそこには流れていて、“祈り”という言葉がとても似合う、と感じました。

長崎原爆資料館/親になる前にはなかった視点

ハンドブックを片手に

ハンドブックを片手に

私たちは、浦上天主堂から歩いて長崎原爆資料館へ行きました。ここにもたくさんの修学旅行生や外国からの観光客がいました。

昭和20年8月9日に落とされた原子爆弾。
当時の人口は24万人の長崎でしたが、同年12月までで、死者73,884人、負傷者74,909人になったと推定されています。
市民の6割以上に当たるこの数字では表すことのできない被害、そして多大な苦しみ、痛み、悲しみがそこにあったということが、
展示されている写真や映像、そして保存されている数々の品から伝わってきます。

私自身は原爆資料館には何度か足を運んでいますが、子どもを抱っこしながら来たのは初めてです。
視覚にも聴覚にもそして、感覚にも訴えてくるこの資料館は、感じることがその度に異なるのだということを発見しました。
それは、展示物の中でも“子ども”に関わることに目がいくことが多かったように感じたからです。

きっとそれは、いまわが子を抱いているからなのだと、思いました。
親になって改めて訪れてみると、視点が目線や視線が今までとは変わるということなのだと思います。

まとめ/平和教育を学校任せにはできない

赤ちゃんを抱っこしながら

赤ちゃんを抱っこしながら

原爆が投下されたことによって起こった現実を、戦争の果てを、
私たちは可能な限り直視しなければなりません。

私は長崎県出身として、他の県・地域よりも平和教育を受けてきましたし、知識もあります。それでも思う事は、
平和教育は、学校任せにはできないのだな、ということです。

自分の役割が子どもから大人へと変わり、「子を守る」当事者としての責任を負うそして親になった今だからこそ、
目に映る景色や、その場の惨劇、混乱、そしてそこから立て直してくれた先人達への感謝をまっすぐに感じ取れると思うからです。

私たち親は、大人は、知る必要があり、考える必要があると私は思っています。
そして、子どもたちに対話を通して伝えていく役割があり、一緒に考えていく役割もあると思っています。

まずは歴史を知ろうとすること、引き継いでいこうとする姿勢を持ち、
その一歩を踏み出したり、その歩みを進めていくのは家庭からだと、強く感じた家外学習となりました。

実際にKURASOU.で行なった、平和をみつめるワークショップ KURASOU.×ちひろ美術館・東京「ART meets LOVE&PEACE」 も合わせてお読みください。

(齋藤)


(※1)長崎県北西部の平戸島とその周辺
(※2)物品や金銭を寄付すること


家外学習のルートについて

・浦上天主堂(カトリック浦上教会)
長崎県長崎市にあるキリスト教(カトリック)の教会およびその聖堂で、
聖堂は、旧称の浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)の名で一般的に知られている。
1945年(昭和20年)の長崎原爆によって破壊され、1959年(昭和34年)に再建。
1962年(昭和37年)以降、カトリック長崎大司教区の司教座聖堂となっており、所属信徒数は約7千人で、
建物・信徒数とも日本最大規模のカトリック教会。

所在地▽
〒852-8112 長崎市本尾町1-79

・長崎原爆資料館
被爆の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過、および核兵器開発の歴史、平和希求などストーリー性のある展示を行っている。

所在地▽
〒852-8117 長崎県長崎市平野町7−8