【コラム】終戦70年目によせて(齋藤)

こんにちは。KURASOU.の齋藤です。
終戦から70年を迎えた今日、8月15日。
みなさんはどのような気持ちで過ごしていますか。

私は、今日ちょうど生後1か月を迎えた次男を抱き、その傍には夫と長男がいる、
という穏やかな暮らしができていることを、とてもありがたく感じています。


身近ではない戦争

長崎原爆の被爆者で現在は東京に住んでいらっしゃる、
吉田一人さんにお話しを伺ったことを思い返してみました。

「私は15年戦争の始点で生まれた。戦争というのは行ったら帰ってこないんだという感覚はあったけど、
自分の周りでドンパチやっているわけではなかったから、そこまで身近ではなかった。
しかし、金属を徴収されたり、卒業記念の景品ですら徴収されることになった。
これはまさに国家総動員法。戦争のために生活ができなくなった。」と語ってくださったことが今でも忘れられません。

戦時中でも、戦争自体が“身近ではない”という感覚。日常の中に共存していた“戦争”という非日常

ふつうの暮らしが、特別なことは何もない一日が、その時代も確かに存在していたことを改めて教えられました。
そして、何気ないいつもの暮らしは、突如として奪われることがあることも知り、現在の暮らしの尊さを改めて感じました。

「わたしだったらどうするだろう」

8月9日に行われた、被爆70周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典内で宣言された、長崎平和宣言。
戦後に生まれた世代が多くを占める日本において、戦争の記憶を忘れず、語り継いでいくことが必要だと話し、
続けて、“若い世代のみなさん”と呼び掛け、長崎市長がこう読み上げました。

「若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかり受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。」

平和宣言の内容にも様々な意見や考えがあると思いますが、今の私にはこの内容が、すっと心に入ってきました。

そして、“私にはなにができるだろう”とより真剣に自分の気持ちに向き合うことになりました。

わたし達家族が目指す日常

8月9日の夜、今は上海に住んでいる夫からメッセージが届きました。

中国のニュースでも8月9日の長崎のことが取り上げられていること、
そして日常的に放映されている抗日ドラマのこと、
9月3日は中国の抗日戦勝記念日であること、などを教えてくれました。

そのような記念日があるんだ、と何も知らない自分に改めて気づかされたと同時に、
私から何も問いかけずとも、8月9日のことについて、夫が話をしてきてくれたことを嬉しく思いました。

私は高校時代、世界史の授業が好きでした。
でも、情けないことに勉強したことは今ほとんど頭に残っていません。
たぶんそれは勉強の目的が、テストのため、受験のためとなっていたからではないかと今では思います。
その目的自体は意味のないことではありません。

けれど、「知りたい、わかりたい」という欲求は10代の私にはほとんどありませんでした。

この欲求がぐんぐんと芽生え始めたのは、こどもを産んでからのことです。
それは、いつかこどもに色々なことを質問されたときに一緒に考えられる親でありたい、と思ったからです。

歴史問題にしても、戦争のことにしても、国や立場や時代が変われば見解も変わってくるのは当然です。
しかし、一方から見た景色だけを信じるのではなく、
いろんな角度からの景色を見ようとし、
それをもって自分の考えを表現し、他の人考えに耳を傾けることが大事なのではないかと思っています。
それには、知ろうとする努力が必要です。

教科書をつかって勉強をすることだけがその方法ではなく、
私たちは様々な国の友達をつくり、話をすることができます。


 

私はこれから上海へと居を移します。
私に与えられたこのチャンスを活かし、戦争も含めた歴史に対して、
中国ではどう考えられているのか、歴史に対する日本の教育との違いなどを、自分の目で確かめようと決意しました。

これが「平和のために私ができること」の一つの方法であり、
国境を越えて新しい関係を築くための一つの手段になると考えています。

そして、このような話題について、まずは夫婦で情報を共有したり、
議論をしたりすることが当たり前になり、
こどもたちを巻き込んで家族で話をすることを日常にすることが、
「平和のために私たち家族ができること」につながっていくと思っています。

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齋藤 愛