KURASOU.の藤岡です。
年内最後の区議会定例会。産前に行けなかった陳情審査を傍聴したく、子連れで委員会の傍聴に行きました。
私たちが声を届ける方法
私たち一般市民が、国や地方公共団体に対して要望をすることができる制度があります。
陳情(ちんじょう)と請願(せいがん)に分けられ、請願の場合は紹介議員を必要とすることが大きな違いです。
この要望を行政と議員が審査することを、陳情審査といいます。
陳情書にはなぜこの要望を出すのか、どんな代替案を望むのかなど、A4用紙裏表を使って記されていました。
考えていることを言葉に落とし込み、誰が聞いてもわかりやすく表現する。
陳情や請願は普段聞き慣れない言葉ですが、暮らしの中の疑問を伝えるには必要なプロセスなのだと感じました。
「じぶんごと」だと人は動く
文教子ども家庭委員会の傍聴席(合計8席)には、私を含め2名と少数でした。
それもそのはずで、平日昼間に、しかもわざわざ役所に来て議員と行政のやり取りを聞きたい人は、
そう多くはないからです。
前回の傍聴は、行政と議員が意見交換をする議案審査のみだったので、傍聴席には全く市民が居ませんでした。
今回は市民が要望を出した本人や関係者が傍聴することもあり、
別の部屋で行なわれていた福祉健康委員会への傍聴者は、10名ほどいたようです。
待合室で話していた様子も力強いものがあり、相応の姿勢で傍聴に臨まれたのだろうと思います。
・・・ただ、陳情を出したといっても、傍聴者としては発言ができません。
もしも私自身が陳情を出した立場なら、きっと歯がゆいだろうな・・・というのが正直な実感です。
「実は・・・」と切り出す勇気
暮らしを支える決まり事は全て行政を通して決定する。
私たちと暮らしと行政は切っても切れない関係です。
傍聴に行く、陳情書を出すといった行為は、私たちからするととてもハードルが高いものです。
そこまでしなくても・・
誰かがやってくれるよね・・
そんな自分のうちなる声がまさに代弁してくれます。
暮らしの中で疑問をもったときは、まずは自分の仲間が居ないかを探してみる。
今私たちに必要なのは、思い切って「実はこう思うのだけど、どう思う?」と切り出す勇気かもしれません。
(藤岡)