【コラム】戦後71年目によせて(藤岡)

KURASOU.の藤岡です。
早いもので、8月15日に書くコラムも、今年で3回目を迎えます。

この週末は、お盆のお供え物を仏前に置き、子と共におがむ時間を過ごしました。
身近で遠い、「死」というものを、どう子に継いでいくかを深く感じる夏でもあります。


8月に「多様性」を考える意味

 

先日、トルコに住む友人を囲み、子が寝静まった後に友人らとゆっくりと話す機会を得ました。
日本にいると遠く感じる難民について、
そして多様性について、その地に住んでいる人たちはどう感じ、行動しているのか。
そして、家族や自分の今、昔について、それぞれが実は心の奥底に感じている気持ちを話しました。

「朝鮮学校に通っていたあの子と話した、あのやり取りが忘れられない。いまごろどうしてるんだろうなって考えるときがある」

「夫はアメリカで教育を受けてきたから、原爆は戦争を終わらせるために落としたって思ってるんだよね」

「厳格なイスラム教の教えを忠実に守っているとはいえ、イスラム教徒だって人間なんだって、普段目にする中で実感するんだ」

8月の今の時期にトルコ在住の友人を囲んでどうしても話をしたかったこと。
それは、 多様性というキーワードの裏には、〈平和とは〉という問いにつながってくる と考えていたからでした。

 

親と子で対話し続ける

 

デンマークに留学した際、現地でお世話になった、NGO Crossing Border設立者Garba Diallo氏がいます。

西アフリカモーリタニア出身で、15歳まで羊飼いとして働き、学校には行っていませんでした。
奨学金をうけ中東の大学で学んでいるときに祖国の独裁政権を批判する論文を出し、
政治犯として追放となり、政治難民となってノルウェーへ。教師として働き、
デンマークのIPC(International People’s College・フォルケホイスコーレの1校)での教師を経て、
私が留学したクローロップホイスコーレにてグローバルコースを担当されています。

Garba氏はCrossingBorder(クロッシングボーダー)を1999年に立ち上げ、
対立関係にあるグループの「対話」「和解」をテーマに中立な対話の場を設けたり、デンマークの学校でへプログラムを提供しています。

「現実に悲観せず、かといって楽天的にもならず、ただただ自分のできることに集中し、自分の活動に希望を持ち続けること。」

子と親は、まさにそうして平和、多様性への理解を深めてほしいと話をしていました。

 

親が思考し続けること

 

話は冒頭に戻り、友人たちとの語らいに戻りましょう。

アメリカ、ヨーロッパ、東欧、オセアニア。それぞれにルーツを持つ友人たち。
話をするうちに、親の実体験こそが、多様性を受け入れる素地となる、という言葉が何度となく頭を巡りました。

例えば、自分の想像が、近しい友人の視点によって、「イスラム教徒」のイメージが変化する。
そうすると、何かの折に子どもに宗教の話をするときに、いわゆる世間一般の語り口ではなく、
自分が人との生の語らいによって得た話ができる。すると、子はそのままを受け取り継いでいってくれるのだと思います。

親が思考し続けること。見知を広げ、自分の口で語ること。この行為は一番、育てる我が子の心を育むのだと思います。


 

普段、知人・友人、そして家族の何気ない会話の中では、出てこない話。
例えばそれが、政治のこと、人権や多様性のこと、そして平和のこと。

71年前の日本は、平和であることにどれだけ安堵した親がいたことでしょう。

その心情を、我が子とともに継いでいきたいと思います。

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デンマークにて、自然の中でいつの間にか集まっていたこどもたち

(藤岡)

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