【コラム】東日本大震災・7年目によせて|宮城県石巻から(齋藤)

2011年3月11日から、東日本大震災から今日で7年になります。
親が学び直す場所をつくり始めてから、福島への訪問やオンラインサロン、コラムの発信を続けてきました。
KURASOU.の副代表が東京から長崎へ、そして上海への赴任を経て仙台に住み始めて半年が過ぎた今。

3.11によせて、2人の間で手紙を書くように今の気持ちを伝え合った様子をお伝えします。


愛ちゃんへ

こんにちは。3人の育児、目が回る忙しさだと思います。
私もいよいよ7月ごろからはそうなるのか…と思うと、今から「どうしようかな」という気持ちと、
成長する子らがみせてくれる一面をたくましく思う気持ちと、入り混じった思いでいます。
子を持つって、人生においてこんなに自分の揺らぎや芯の気持ちを気付かせてくれるんですね。

私たちが親になって今年で6年。ちょうど、私たちが親になるほんの1年前に起きた東日本大震災からもうすぐ7年。

今年で購読4年目になる「情報誌+食べ物 東北食べる通信」の2018年1月号、宮城県塩竈市の赤藻屑(あかもく)の特集を読んで、頭から離れなくなった文章があります。

「今回の大震災で、既存の防波堤は崩れ、埋立地は地盤沈下し、そこに海水が侵食してきた。しかし変わり果てた町の姿を見て、被災地の漁師たちは口々に「昔の海に戻った」と言っていた。埋立地だったところはかつて防潮林、砂浜、干潟が広がり、河口域には藻場ざ群生していたのだ。干潟は渡り鳥や低生生物など多様な生物を育むと共に、水質を浄化する機能や、沖からの波浪を弱めることによる海岸保全機能を果たしていた。また藻場は、多くの海藻が育まれる海藻の森であり、魚の隠れ場所や産卵の場となることから「海のゆりかご」とも呼ばれ、海洋生物の再生産に欠かせない機能を有している。こうした干潟や藻場の多くが防波堤の建設や埋立地の造成で消えていったのが、日本の経済成長時代における沿岸の光景だった。」(太字は特に私が印象に残った箇所です。)

昔の海での自然の生物のサイクルと、経済成長で得られたものと、震災で壊れきったものと。
知らなかった、ではとても済まされないと、心震えたのでした。

愛ちゃん、仙台での暮らしはどんなものですか?

宮城県塩竈市の赤藻屑。我が家と東北をつないでくれる食べる通信から毎月色んなことを学んでいます。

2018年3月6日 藤岡聡子


夫の故郷・仙台に越してきて、早半年が過ぎました。
仙台で過ごしたはじめての冬、はじめての雪かき、10年以上ぶりの車の運転…。
3人の息子たちにとっても、私にとっても、初体験の多いひと冬となった。
とっても暮らしやすい街で、越してきてよかったと思うこの頃です。さとこちゃんも、もうすぐ3人の母。今から楽しみだなぁ。

さて、宮城にも突然春が訪れたような日、3月4日、家族で石巻市に行ってきました。7年前、何度もテレビでみた日和山公園からの映像が今でも目に焼き付いていて、自分の目で確かめたかったから。

坂を上った標高56メートルにある日和山公園は、石巻が一望できるだけなく、
かつては松尾芭蕉や宮沢賢治などの文人も訪れたという石巻のシンボル。
心地よい風が吹き抜け、大きく広がる空に、流れる旧北上川…。

約6メートルの津波が一気に街をのみこみ、さらに津波火災で瞬く間に廃墟となった石巻のこと、想像するのに少し時間がかかった。

石巻市全体では、直接死・関連死・行方不明者合わせて3,977名(震災前の人口は約16万人)の尊い命が、失われていたよ。(*1)

公園の所々に置かれていた震災前の街の写真と目の前の現実を繰り返し眺めていたら、涙がこぼれてきた。
石ころや木の枝でわいわい遊ぶ長男と次男を見ていたら、ここは「公園」なんだと思ったけど、「避難」のイメージが今でも強いってことを再認識したからか、
この場所に、簡単に言い表せない「感情」がどれだけの数降り注いだのだろうと想像したら、自然と涙がこぼれてきたんだ。

日和山公園に設置されていた、震災前の風景の写真パネル

日和山公園の現在の風景

 

見下ろした街を実際に歩いてみると、進んでいる営みがそこにはあった。仮面ライダー好きの息子たちは、特に石ノ森萬画館が気に入って、「またここに来る」って宣言していた。

歳月は確実に進み、あちこちで工事は進んでいたけれど、まだ茶色の風景が多くを占めているような気がした。

日和山公園から眺めた景色

完全復興にあとどれくらいの時間がかかるのか、私には想像できない。
今回訪れたのは石巻のほんの一部だから、まだまだ知らない風景がたくさんある。
私の知らない宮城は、まだまだたくさんある。

「3.11のことを絶対に忘れないために」「子どもたちの故郷のために」

私たちの知らない“宮城”を、少しずつ知る旅を家族で続けていこうと夫と約束したんだ。

2018年3月11日 齋藤  愛

*1『東日本大震災 石巻市のあゆみ』(石巻市・H29年3月発行)第5章「石巻市の被害」参照


一瞬の悲劇と、その後今も続く長い長い爪痕を見つめながら
親として子に伝える光景と言葉を、これからもしっかり選んでいこうと思います。

 

【コラム】東日本大震災・5年目によせて(藤岡)
【コラム】東日本大震災・6年目によせて(齋藤)