2014年8月6日 午前8時15分
平和祈念式典のテレビ中継を見ながら、手を合わせました。
1歳の息子はその姿をみて、見よう見まねで手を合わせていました。
2014年8月9日 午前11時2分
私は、JR郡山駅のホームでこのときを迎えました。
大きな荷物と息子を抱えて、手を合わせました。
「黙とう」の合図とともにサイレンが鳴り響く。手を合わせる。
たとえそれまで何かをしていても、立ち止まって祈りを捧げる。
長崎に生まれ育った私には、これが当たり前の光景です。
はじめて降り立った郡山では、いつものように時間が流れていました。
そして、そのいつもの時間に私も戻りました。
偶然にもこの日をこの地で迎え、郡山や福島で農業を営む方々と交流をしてきました。
先祖代々の畑を守り、自然と共存し、たくさんの汗を流しながら、
手塩にかけて育てた作物を大消費地に届けてくれている、尊い仕事をされています。
広島・長崎と福島の抱える問題は、まったく違うようで、どこか似ている部分があるようで、
だからなのか、私の意識が福島に向いていて、まるで必然かのごとく足を運んでいました。
「これなんだかわかるか?」
「これ?ほうれんそう?小松菜?・・・なに?」
「なあんだ、わかんねえか。ブロッコリーだっぺ。」
大好きなブロッコリーの赤ちゃんの時の姿は、こんな様子なのだと初めて知りました。
この畑には私の知らない“当たり前”や“日常”がたくさんあふれていました。
6月に訪れた福島とはまた違った一面を、見て聞いて知った旅でした。
同じ日本人というくくりの中でさえ、生まれた土地や時代によって、その当たり前は違います。
でもそれは、決してマイナスなことではなく、この島国に無数の“日常”が存在するという奇跡に、私は神秘さえ感じます。
“戦争のない平和な世界でありますように”
誰しもが願っていることだと、私は信じています。
私の身体と心にしみついている、8月の“当たり前”の光景が
いつか日本中の“8月の姿”になるように、私はできることからはじめていきたいと思います。
(齋藤 愛)