KURASOU.メンバー同士で交換し合うコラム。
毎年8月15日に公開し始めて5年目になりました。
愛ちゃん、こんにちは。とうとう私も愛ちゃんに続いて3人の母になりました。
ようやく産後1ヶ月が経つ今ですが、子ども3人の生活、思ったよりもなんとか回っているの気がしています。
上2人の子どもが成長したからかな。
懸命に世話をしてくれる姿をみて、頑張って3人目まで産めてよかった・・となんだか目を細めてしまうよ。
出産がほんの一ヶ月前だったので、まだ出産の痛みや情景が昨日のように思い出せます。
助産院での入院中、ほかのお産の話をたくさん聞く機会があって。
幸い私は安産だったけれど、中にはへその緒が3重にも4重にも絡まっていて、お産の場が凍り付いた、なんて話もあった。
やはり出産は母も子も命がけ。楽をして生命が生まれることなんてあり得ないよね。
そして、命をかけて産み産まれてきた1つ1つの命に、「失っていい命なんて、この世には1つもない」と強く思うんだ。
6才になった長男は、昆虫や動物の暮らしぶりにとても興味があり、その時々で殺生について彼なりに感じ取っているそぶりをみせる。息子はまだその感覚を言葉では表しきれないみたいだけど。
そんな息子と原爆投下の両日の夜に話した、「失っていい命なんて、この世には1つもない」。息子はどう感じてくれたのかな。
3人目の出産を終えた今の私なりの答えなのかもしれない。
愛ちゃんは、仙台でどんな風に過ごしているのかな?
2018年8月9日(木)藤岡 聡子
さとこちゃん、改めて出産おつかれさま。そして心からおめでとう。
3人育てていると、近くて遠い東京・・・でも近いうちに必ず会いにいくね。
私は仙台に来てからもうすぐ1年が経つ。三男が1歳を過ぎて上手に歩くようになったところだよ。
4月からは、「しなやかにキャリアを築いていこう」と決めて子育てにも理解ある地元企業で働き始めたんだ。
母として、妻として、そして一人働く女性として。
毎日、いろんな顔や役割のある自分がいて忙しいけれど、日々楽しめている自分がいるような気がするかな。
8月9日、私は長男の友達に声をかけ、「いずみdeこども哲学」を開催したんだ。
年少さんから6年生までの総勢15名の子どもたちが集まってくれて、
「戦争」をテーマにした絵本(『なぜ戦争をするのか?六にんの男たち』デイビット=マッキー作、中村浩三訳、1975年)を題材にして、こども同士の哲学対話。
一言でいうと、「平和」な時間だった。
始めに子どもたち、お母さんたちに、73年前の8月6日と9日、広島と長崎に原爆が落とされた話をした。
そして、仙台では、黙とうのサイレンはならないんだって話もした。
私は長崎育ちだから、平和教育は当たり前だし、当たり前に黙とうをしていたけれど、ここでは違う。
だからこそ私は、このテーマをどうしても扱いたかった。一人の長崎人として、一人の日本人として。
子どもたちはまず絵本の中の「絵」の意味に注目することが多かったんだけど、だんだん「絵」と「ことば」のすり合わせを行いながら発言をするようになったのが印象的だった。
この絵本は、こんな話から始まる。
「6人の男たちは、平和に働き暮らすことのできる土地を求め、見つけ、そこに住みつき、せっせと働き、富を得た。その結果、どろぼうを呼んでしまうのではないか?と心配になり、財産を守るために、6人の伴兵を置くようになった。」
話してみたい問いを考え、選び、問いを起点に話が深くなったり広がったりした。
「戦争」「争い」と考えると、遠いところの話のような気がしていたけど、実は身近に小さな「争い」が色々あるんだってことに気づいた。最後は、こんな話になっていったんだ。
《兄弟では「争う」のに、なんで友達とは「争い」しないんだろう?》
「先生から怒られるから」
「いや、争いしたくなる時もあるけど、しないように他の方法考えたり、もう諦めたりする」
「そもそも争おう!って思う友達いない。みんな仲いいし。でも兄弟は争いたくなる!」
全員が必ずしも発言しなかったし結論もない、でもそれでいいんだ。
お母さんたちからは、
「うちでは、会話はしていたけど対話はしたことなかった。家でもやってみるよ」
「自分以外の考えに否定的じゃない、人の考えも認められる子どもに育ってほしいと思ったよ」
とうれしい感想。
私にできる「平和」を考える活動の一つが「こども哲学」を使った対話の時間なのかもしれない、って思った。
黙とうのサイレンは鳴らなかったけれど、私の新しい一歩を応援してくれる子どもたちの声がたくさん飛び交った、賑やかで「平和」な一日だった。
2018年8月10日(金)齋藤 愛
会話、ではなくて対話をする。
今日はパートナーと、お子さんと、そんな一日にしてみませんか?