【コラム】戦後72年の今を生きているわたしたち|軽井沢と長崎にて

早いもので、8月15日に書くコラムも、今年で4回目を迎えました。

今年は、KURASOU.のメンバー同士で、軽井沢と長崎の地で、手紙を書くように感じていることをお互いに送り合った言葉を、お伝えしたいと思います。


愛ちゃん、こんにちは。産後、調子はどうですか?今年もこの季節がやってきましたね。お盆前のこの季節は、とても色々なことを思います。

今年の8月6日の日曜日の午前8時ごろ、わたしは軽井沢のあるペンションで朝ごはんをいただき、新聞を読んでいました。その新聞は広島の原爆投下にまつわる記事が一面に並んでいました。

偶然とはいえ、軽井沢という地は2013年に公開されたスタジオジブリ映画「風立ちぬ」で、主人公が過ごす避暑地の舞台にもなっています。

主人公のモデルは、零式艦上戦闘機の設計などを手掛けた航空技術者である堀越二郎。日本の1920年代を生きた若者たちの暮らしと、戦争への道のりをかいている映画です。

この映画は軽井沢追分で生涯を閉じた堀辰雄さんの小説『風立ちぬ』からの着想も盛り込まれているそうです。

 

ふっと、そう遠くない場所で書かれたこの小説や、緑に囲まれたペンションのまわりで、夫とともにはしゃぐ子どもたちの声を聞き、読むのを止め、目を閉じました。

そして、この日常に降ってきた破壊的なものを想像すらできないのが、戦後72年の今を生きているわたしたちなのだと、考えていました。

想像すらできない途方もない暮らしづらさ、生きづらさを、戦後80年となったとき、どれだけ当時の暮らしを語り継ぐ方と出会えるのだろうか。あと数年で小学生になる子どもと、どんな話をすればよいのか。

今年も、しっかりと答えが出ないまま、間もなく終戦日を迎えます。

愛ちゃん、そちらの様子は、どうですか?

軽井沢の山々を臨む場所で過ごしました

2017年8月7日(月)藤岡聡子


さとこちゃん、長崎からこんにちは。

3回目の里帰り出産で、今年は長崎で過ごす8月となりました。6月最後の日に生まれた三男は、すくすく育ってくれているよ。

長崎は連日猛暑だけど、軽井沢はずいぶん過ごしやすいんでしょうね。

8月9日11時前、私は近所にある眼鏡橋付近を母と歩いていました。いつもの通り防災無線が聞こえてきて、11時2分サイレンが鳴り響きました。歩いている人々は立ち止まり祈る。これが毎年8月9日の風景です。

近くの小学校からは、こどもたちの元気な歌声が聞こえてきました。今日は平和集会のための登校日。被爆者の話を聞いたり、詩を朗読したり、歌を歌ったり。知っている歌が聞こえてきたから、こどもの頃の記憶が甦ってきて懐かしい気持ちになりました。

戦争、原爆、核兵器、そして平和……立ち止まって考えるこの季節。長崎に育った者として、いつ我が子とこのテーマについて対峙するのかと思っていたのだけど、その入り口に親子で共にたち、歩みを進めたのが戦後72年目の今年でした。

私たちが住む商店街のあちこちに、6月に開催された原爆写真展のポスターが貼られていた時のこと。

そのポスターに載っていた写真はお母さんのおっぱいをのむ被爆した母子と、怪我した仲間を担いで歩く兵隊さん。彼が初めてそれを見つけたのは、友達とあそんでいる時。じーっと数分間見つめるだけで終わりました。数日後、買い物の道中で、彼は私に話しかけてきたんです。

「ママ、このあかちゃんどうしたと?」

「けがしてると?死んでると?」

説明しようとしたけど、しっくりくる言葉がとっさに見つからなかった私は、

「死んでるのか、生きてるのかわかんないね。これみてゆうしはどんな気持ちになる?」と返してみました。

答えは、「かなしいね。」でした。

その後も何度もこのポスターの前で立ち止まり、同じような質問を繰り返す彼をみて、

「せんそう」「げんばく」ということを今なら伝えられるかもしれないと、図書館で絵本を探したのです。

恐怖を入り口にしたくはない、でも、事実は伝えたい。

そこで選んだのが『ピカドン』でした。

くろいあめが降ってきたという場面で、「こわい」といい、8月9日にまた同じことが起こるのか?と心配し、最後の「ピカドンをゆるすな」という言葉に、「ゆるしたらどうなるの?」と疑問を抱いた様子。

「読んで」のリクエストがその後も続き、2歳の次男は、擬音が多いこの絵本をどこか気に入ったようでした。

 9日の朝、幼稚園に行く前に『ピカドン』の話をしてみました。

「今日は長崎にピカドンが落ちた日だよ。ピカドンはゆるすな、をわすれんでね」と私が話すと、

「ピカドンをゆるすとまた同じことが起こるかもしれないんよね、だからゆるさん」と彼は言いました。

豊かに平和に暮らしている現在、言葉だけで伝えても、想像したり自分のことのように考えたりできるようになるのは難しいかもしれない。でも、絵や写真と共に伝えると、4歳のこどもの心にも響き届くということを身をもって知りました。 

私たちはもうすぐ長崎を離れ、仙台へと移り住みます。戦争や原爆というテーマをとりまく環境は、長崎と仙台では大きく違うだろうと思う。だからこそ、家庭でできる平和学習を続けていこうと思います。

歩みは少しずつだけど、住む場所が変わっても「忘れないこと」が大切だって思うから。

長崎の中心街、眼鏡橋の様子

2017年8月9日(月)齋藤  愛

みなさんは今日、家族とどんな話をしますか?