【コラム】東日本大震災・6年目によせて(齋藤)

2016年3月11日付河北新聞を、私は上海に持ち帰っています。

忘れられない日


改めて読み返す紙面、あの日のことが今でも鮮明に蘇ります。
私はいいこともよくないことも案外すぐ忘れてしまう性分ですが、
あの日のことは、忘れられないの一言に尽きます。

当時東京に住んでいたので直接の被災者ではありません。
しかし、仙台市出身の主人の家族の安否がすぐに確認できず、テレビや携帯に張りついていました。

昼間だし家族みんなどこにいたんだろう…?いまどこにいるだろう…?
憶測が頭をぐるぐる巡り、目に飛び込む現地の映像や絶え間ない情報が、その憶測を不安に変換し続けました。
直接声が聞けたのは、翌日だったとおもいます。
正直、心からほっとして力がぬけました。

希望と現実のあいだ


昨年夏、私は家族で気仙沼、南三陸を旅しました。

次男の発熱により訪問予定だった南三陸の民泊は諦めましたが、
気仙沼には宿泊し、ホテルの方から話を聞いたり、
女川駅、南三陸商店街などを歩くことができました。
復興が進んでるように感じる場所と、素人目でみてもまだまだと感じる場所がありました。

冒頭で書いた河北新聞の一面は、南三陸防災庁舎付近の写真で、私も同じ風景をみてきました。

土の色、黄土色の光景のその中にポツンと佇む庁舎。
寂しい、でもとてつもなく強い。そんな印象でした。
宿泊した気仙沼のホテルの目の前は、海。


子どもは解き放たれたようにはしゃぎ、私は、
まっすぐな青さに、その青の広さに、大きく深呼吸。
上海ではあまり見られない突き抜ける青さ、だからでしょうか。
ホテルの方の話だと、まさしくこの海がホテルを襲ってきて、多大な被害を受けたといいます。

「それでも地元の人たちは、みんなこの海にくるんですよ」

突如として牙をむいた自然や現実が目の前にあるけれど、切ってもきれない間柄なんだな、と思いました。

離れたから気付く、日本の美しさ


上海に住んでいると、高層ビル立ち並ぶ大都会と
昔ながらの変わらない風景が一本の道路をはさんで共存するのを見るのも珍しくありません。
総面積6340.5平方キロメートル(大分県とほぼおなじ)ですが、
世界の中でも大都会であることは改めて言うまでもないですね。

その高層ビルを見上げたり、先日実際に91階のフロアに上ってみたのですが
「地震がほとんどおきない」ってこういうことなのかと思いました。

全土で見ると中国は地震大国ですが、上海だけみるといわゆる地震帯からは外れているそうです。

もちろん対策はされた上で建ち並んでいると思いますが、
地震が起きたらどうなるんだろう、津波襲ってこないのかな…と思うのは、
6年前の地震を経験したからかもしれません。

新旧が絶妙なバランスで共存する面白い上海を離れるのは少し寂しい気持ちもあります。
いろいろな出会があり、いろいろな見識が広がり、私は上海が好きになりました。
そして、自分の生まれ育った国、故郷のよさにも気づきました。

きれいな空気。あおい空としろい雲。
おいしい食べ物。きらめく星と月。
自然の恩恵をいつも享受している日本。
自然の脅威といつも隣り合わせの日本。

3月11日、私は上海で静かに祈ります。
3月12日、私は初夏に控える第3子出産を前に、日本に帰国し仙台に立ち寄ります。

今年の河北新聞は、どのような内容が書かれているのでしょうか。

今年も私は3月11日の紙面を大切に読み、大切に取って置こうと、そう思います。

(齋藤)